① 活動をはじめたきっかけについて

僕が精子提供活動をはじめたきっかけは、Y子、N子という2人の女性との出会いがきっかけでした。それは2014年の初旬頃、とある音楽イベントで知り合いました。そのイベントは僕が当時大ファンだったあるバンドのライブイベントで、当時僕は1人で来場していました。彼女たちはちょうど僕の隣の席にいました。彼女たちはお互い手を握り、寄り添い合いながらとても楽しそうにはしゃいでいました。僕はそんな彼女たちをはじめ見たとき、最近の女性同士は仲が良いんだなという印象しかありませんでした。僕は話し相手もいなかったため、開演前は会場をきょろきょろ見渡すかスマホをいじるしかありませんでした。そんなあるとき、彼女たちは僕を気づかってくれたのか、僕のすぐ隣にいたY子が僕に話しかけてくれました。奥にいるN子ははじめのうちは控え気味でしたが、徐々にY子との話に加わり、音楽イベントに出演するバンドについて話やお互いの好きな音楽についての話題にとても盛り上がりました。そして、僕が彼女たちの仲の良さについて話題がいったときにY子が同性愛カップルであることを打ち明けてくれました。将来、結婚したいけど、日本では同性婚が認められない現状など同性愛の実状についていろいろ語ってくれていました。ですが僕はそのとき、その話題について未知の世界だったのであまり興味はなく、ただY子の話にうなずくことしかできませんでした。そのとき彼女達が同性愛であったことは正直どうでもよく、彼女たちとは音楽の趣味やフィーリングがとても合い、話していてとても心地よく、また別の機会にゆっくり話したいと思える、彼女たちの人間性に惹かれていました。幸いお互い意気投合し、ライブイベント後にY子と連絡先を交換することになり、その後、彼女たちと定期的に会うようになりました。

それからというもの、彼女たちの家に遊びにいったり、一緒に旅行に出かけたり、楽しい時間をともにしました。そして、あるときY子から「相談があるんだけど会えないかな。」と一文のメールが届きました。これまでY子から相談を持ちかけられることはなく、一文だけのメールを送ってくることは稀だったため、嫌な予感を感じました。

Y子に呼び出された喫茶店に着くとN子と一緒にいつもと変わらず、明るく元気な様子でした。その姿を見たとき、これまで抱いていた嫌な予感は徐々に消え去っていきました。席に着くと音楽の話など、たわいのない世間話をし、いつもと変わらなく楽しい会話で、Y子から相談のあることはすっかり忘れてしまっていました。そんな中、皆、一息ついて沈黙がしばらく続いた時、Y子から相談の内容が語られました。それは、将来、どうしても自分たちの子どもが欲しいので、僕に精子提供してほしいという内容でした。後ろめたさもなく、とてもストレートな質問でした。はじめは、何を言っているのかさっぱりわからなく、即答はできませんでした。しかし、彼女たちからLGBTによる結婚、妊娠・出産の現状や子どもに対する熱い想いと愛情を知っていくうちに僕は徐々に前向きに考えることができるようになりました。

そして、帰宅後、LGBT含む性的マイノリティについて、精子提供の現状について徹底的に調べてみました。そこでわかったことは、日本では同性婚がまだ認められないといった問題や子どもが欲しいのに授かることができないセクシャルマイノリティの方がとても多いという事実でした。またこの時から、結婚をしないで自分の意思でシングルマザーになることを決意する選択的シングルマザー「SMC」という方たちを知ることができました。世の中、あまり知られてはいませんが、子どもを作りたくても作れない方たちがたくさんいる。その事実を知ってから彼女たちからの依頼の返事にNOと言うことはできませんでした。僕からの返事に彼女たちはとても喜びました。そして、彼女たちは僕にとって大切な友人だったので、彼女たち、産まれてくる子どもには苦労はさせたくないという強い気持ちがあったため、子どもの知る権利をはじめとした子どもの将来のこと、精子提供者としての僕の立ち位置など、彼女たちとよく話合いました。そして、現時点でわかる僕と彼女たち、そして、子どもに起こりうる最悪な事態をリストアップして、契約書を作成しました。この契約書がもしもの将来に対してどれ程役に立ってくれるのかはわかりませんが、僕たちそれぞれの意志を確認することができ、お互いの信頼関係を再確認することにとても役立ちました。そして、この一ヶ月後、精子提供は行われました。これが、僕の人生はじめての精子提供でした。

精子提供はY子の排卵日を予測して、毎月2回ほど、Y子の家で行われました。僕はトイレで精液を採取し、その後、相方のN子がY子に医療用シリンジを用いて施術を行いました。提供開始から2ヶ月、3ヶ月と過ぎ、は妊娠する様子もなく、僕に問題があるのではないかと精液検査を受けてみましたが、異常はありませんでした。Y子も産婦人科に通い、不妊検査を受けましたが特に異常はありませんでした。彼女たちと話し合い、とりあえず1年は頑張ってみようという約束をし、その後もあきらめずに提供を続けました。そして、6ヶ月後にY子から一通のメールが入りました。そこには、陽性結果が出た妊娠検査薬の画像が添付されていました。私はこのとき目の前の事実を信じ切ることができず、しばらく、立ちすくんでいました。
我に返り、気がつくとスマホを手に Y子に電話をかけていました。電話に出た彼女は僕以上に喜んでおり、その喜びの声を聞いた僕はさらに嬉しく思いました。後日、産婦人科にて妊娠が確認されました。Y子が月を重ねる度に大きくなっていくお腹と彼女たちの家に加わっていくベビー用品を見る度に彼女たちは子どもたちの親になるのだなという現実を実感しました。そして、Y子は2016年2月、3045gの元気な女の子を無事に出産しました。それから出産後、2-3ヶ月は以前のように定期的に彼女たちと会っていました。ですが、その時期は子どもにとって、そしてこれから親になる彼女たちにとって大切な時期だと思い、僕は彼女たちとしばらく会わないようにしました。このことは彼女たちも同意しました。
そして、しばらくして彼女たちは遠方に引っ越すこととなり現在疎遠になりました。ですが、今も定期的に連絡をとっており、その時送られてくるY子、N子、そして、彼女たちの子どもとの幸せそうな写真は今も僕の人生の楽しみの一つであり、今の活動を支える原動力となっています。